毎年九月の半ばは、地元の祭だ。このあたりではいちばん大きな祭かもしれない。例年、知り合いのお宅が場所を提供し、そこに集ったりするのだが、子どもも大きくなり、集まる人たちも世代代わりして自然と足が遠のいていた。

ただ、祭の日は、先ずは自由が丘に繰り出すという習慣は相変わらずだ。ここ数年は、知人の家に向かう前のお父さんたちと出かけることも多かったが、たとえ一人だろうと、この時期は飲みに行っていたのだ。

もちろん、今年も出かけた。22㎞あまりの街中ジョグを終えて、ノルディックウォーキングの講習会を体験し、亀戸で餃子とビールを楽しんで帰宅。一風呂浴びてから、一人で歩いて自由が丘に向かった。昨日の蠢くエネルギーが残る祭の参道を横目に。

気持ちが急いたのか、自由が丘に早く着いてしまった。看板に灯りは点っておらず、暖簾もまだ出ていない。お店が開くのは五時からなのだが、それより十五分ほど早くのれんが掛かるのは常連なら誰でも知っていることだ。

しかしその十五分前にも、まだ十分時間があった。界隈をふらふらしながら、少し時間を稼いだが、う〜む、どうもまだ微妙な時間が残っている。仕方がないので、暖簾が出ていないかどうか見に行こうとその筋に戻ってみると、五人ほど並んでいるではないか。老舗のこの店に並んでいる人がいるなどというのは見たことのない光景だったので、驚いた。店内の壁際には椅子が並べてあって、待とうと思えばそこで待つこともできるのだが、暖簾が掛かる前に外に客が並ぶというのは初めて見た。

若者たちは、このオヤジたちは一体何に並んでいるんだという怪訝なまなざしを投げつけてくる。そんな視線に晒されること数分。反対側からやってきた常連が(この人はよく見る人だ)、暖簾が掛かる前の店の引き戸を開けながら、並んでいる私たちに向かって

「もう入れるよ。どうぞ」

と声をかけて入っていこうとしたとき、中扉を開けて女将さんが暖簾を持って出てきた。

一番最初に入った常連客は、常連たちの席、二つある大きなコの字型のカウンターの右のカウンターの、その右の付け根の端の席に腰掛ける。次の二人連れは、いつもこの店に来ているわけではないのだろう、左のコの字カウンターの左端へ向かう。お店の人とのコミュニケーションを望まない席だと言ってもいいだろう。二組めは、私が座りたい席に向かっていた。右コの字カウンターの常連席の向かい、左の付け根である。ここが一番好きなのだが、先に向かわれたのでは仕方ない。私は、右コの字カウンターの端から常連の分を六席を空けて、七席目に腰を下ろした。すると女将さんが、私の座りたかった席に腰を下ろした二人に

「ごめんなさいね、土曜日にはいつもこの席に来る人がいるんで空けてもらえないかしら」

う〜ん、この店でそういう台詞を聞いたのは初めてだった。

「いつも酔っ払って寝ちゃうから、そこがいいってお客さんなのよ」

ああ、その人なら、きっと必ず煮魚を頼むおじいちゃんだ。何度も私はその人の隣になったことがある。冷酒をけっこう飲む。で、煮魚は時間がかかるから、出てくるまでの間に、一度寝てしまう。そんなおじいちゃん。でも、私は、その人のために席を空けてくれと言われたことはなかったな。

「ビール」とまず頼む。普段は小瓶なのだけれど、きょうはそれなりに運動もしたので、(昼も餃子で飲んではいるが)たっぷり水分補給しようという魂胆だ。常連の中には「麒麟ね」と指定する人もいるが、ビールとだけ言えば、赤星が出てくる。素晴らしい。ずっと変わらない、小口の葱を散らした一口分の絹ごし豆腐がお通しで出てくる。

赤星を飲みながら、カウンターの上にあるきょうの料理の紙を手にとる。何にしよう。欄外に旬味到来「松茸土瓶蒸し」「松茸茶碗蒸し」とある。いいねぇ。しかし私のような庶民には手が出せない。悩んだ末に頼んだのは、苦瓜のサラダ、ほうれん草の白和え、そしてお新香。そうこうしている間にも、ひっきりなしに客がやってくる。開店時間の五時を目指してきた人たちは、絶対に入れると思っているはずだが、そうとも限らない。実際、二階も、三階も予約で満席。一階カウンター席に空きがないことを見て取ると、大概の客は上を指さすのだが、きょうの女将さんは謝るばかりだ。

私の右隣に若い穏やかな雰囲気の人がやってきた。女将さんは「先生、小瓶?」とすかさず聞いていたので、常連さんなんだろう。私も何度かお見かけしたような気がしないでもない。彼は「失礼します」と私に会釈して座った。つまみには〆さんまともう一品。ヱビスの小瓶があくと、

「花の井をぬる燗でお願いします」と丁寧に頼んだ。

途中、鞄から出したレジュメは英文。それを膝元において、静かに読みながら、ゆっくりと盃を傾けていた。

二席空いていた左隣はちょうど角の席である。そこに女性を連れた元気のいい老人がやってきた。女性はこの店が初めてらしく、「すごぉ〜い」を連発して興奮している。どうやら俳句仲間らしい。もちろん男が重鎮、女性は参加歴が浅いといったやりとり。生ビールを頼んで、つまみ二つほど。まぁ、どちらもどうでもいいようだった。とにかく男が話したくて仕方ないらしかった。家族のいない生い立ち(どこかの金持ちが妾に孕ませた子らしかった)故に、女性に対する愛情は、自己愛の裏返しなんだとかなんとか。この店で聞きたい話じゃない(少なくとも私は)。できれば、鳥升にしていただきたい。そんなんで話に夢中。途中、女将さんに氷をもらって「おれ、ぬるいの嫌いなんだよ」と生ビールのジョッキに氷を落とした。そこまではどうぞご自由にという話だが、黙って女性のグラスにも氷を入れたのには驚いた。「あ、ありがとうございます」と女性は言っていたが。

私は白いかの刺身をとって、白鷹をお燗で。先生は花の井の二本目を楽しんでいる。花の井ってどんなお酒ですか、と聞いてみようかなと思ったりしたが、静かに英文を読んでいる風情に、きっかけが掴めなかった。

さて、先生は二本で暇を告げる。私にも「お先に失礼します」と一声かけていただいた。酒場の学校の流儀がこの先生の中には自然に生きている。

次にその席には大柄の、ご近所って風情の男性が来た。椅子を引きながら、「生ね。それから秋刀魚」まぁ、せっかちを地でいくタイプだ。

喧噪の中でぼんやりと顔を上げると、左のコの字カウンターの上にご主人が柔和に微笑む絵が飾ってあった。この店はいろいろな才能が集まっていたりするので、常連客の誰かが描いたに違いない。今日はそういえばお店に出てこないなと思っていたのだ。ここ数年は、常連客が揃った頃合いを見計らうように、お店に出てくるというのが最近のご主人のスタイルだった。だが、きょうはその気配がない。

この店は椀ものがよい。いつも最後に季節の椀ものをもらうことにしている。ちょいとおまけを付けて頼む。

「こんにゃくのピリ辛煮と秋刀魚の団子汁ください」

「こんにゃくと団子汁ね」と女将さんが復唱したあと、

あの甲高い声で注文を調理場へ通す。

白鷹の燗は三本目くらいだろうか。その間にも、一年ぶりに来た常連さんとか、昨日も一昨日も来ていた常連さんとか、たくさんの人がやってくる。一階カウンターは二人まで。それがこの店のルール。今もその空きを待って腰掛けている人がいる。

椀が出てくる。一口啜っては、蓋を被せる。できるだけ冷めないように。白鷹を流し込む。今年はまだまだ暑いが、これからの季節、堪えられない組み合わせだ。

さて、お勘定をしてもらおう。女将さんが手元でサッと計算する。そして気になっていたことを聞いてみる。

「久しぶりにお邪魔したんですが、お父さんは?」

「あ、おとうさんはね、去年の十月に亡くなったの」

平静を装って聞く。

「ご病気で?」

「小脳の梗塞だったんですよ。それまで病気なんて一つもしたことなかったのにね」

「あら、そうでしたか。それはお寂しいですね」

「未だに信じられないの。もうすぐ一年だけどね」

そう言われて、私の無沙汰が明らかになる。

「残念ですね。70周年の冊子をいただいたりしたこと、よく覚えています」

「残念だけど、ほら、私たちにはお客さんがいるでしょ」

女将さんはそう言って自分に頷き、私の支払いを済ませに帳場に向かった。

寝てしまうおじいちゃんのための席。次からはそこには座れないなと思った。

女将さんやスタッフの人たちに挨拶をして小路に出る。背中越しにご主人の声が蘇る。

「どうも、いつもありがとうございます」

やわらかで奥行きのある声。

いつぞや私が田芹のあまりの旨さにお代わりをした日。お勘定を頼むと、ご主人が私に顔を近づけて、

「田芹、二つ召し上がった?」と聞いてきた。

「ええ、すごくおいしかったので」

「よかったぁ。伝票のつけ間違えかと思ってね。ドキッとしちゃうんですよ」

といってお互いに笑ったことがあった。

ネットの情報か何を見てきたおばさん二人組を

「そこの二人、いい加減にしなさいっ」と怒鳴りつけたこともあった。

「なによ五千円くらいの店で、生意気よね」

とその二人は息巻いていたが、周りが不愉快になるほど自分勝手で、店の雰囲気を壊す輩には躊躇わずにその態度を正していた。パブリックな場としての酒場ということが分からない人には厳しかったと言ってもいいのかも知れない。

「どうも、あいすみません」

入れなかった客へのご主人の言葉。

帰り際に

「どうも、いつもありがとうございます」

やわらかな笑顔でこう言ってもらって、酒徒たちはまた来ることを心に決めるのだ。

穏やかでよく通るあの声が今も聞こえる。

自由が丘に「金田」あり。