ぴたりとはまるカクテルのちから。

一つの店に通い詰めると、だんだんとそこでオーダーするものが毎回同じになってしまって、そのことにじぶんで飽きてしまう時期があると思う。そんな感覚に陥った私は、だんだんとじぶんから注文することをやめてしまい、その日の気分や、使って欲しいラリックのグラスだけを指定して酒が出てくるのを待ったりした。たとえば、こんな感じだ。

「クラッシュアイスで。でもジントニックじゃないぜってやつを」

「その二本足のグラスで、何か」

そんな私ののらりくらりとして宛のない挑戦状に応えるかたちでサーブしてくれたカクテルの中から、いくつかのものが私の新たな定番になっていった。

たとえば、薬草系のリキュールを使ったカクテル。一口含むと爽やかな香りが鼻孔を駆け上がる。

「ペルーノをソーダで割り、フレッシュライムを添えました」

知らない飲み物なのに、これを求めていたんだという感覚。ラリックのグラスに、満月の如く浮かぶスライスライム。この爽やかな一杯で悦に入っているとき。中年のカップルがやってきた。すでにけっこう飲んできたらしく、階段を上がってくるときから陽気な声が響いていた。

店にたどり着くと二人してマスターのヘアスタイルを見て大笑い。

これまでジェルでビシッと決めていたのに、きょうはさらさらのナチュラルヘアで眼鏡をかけていたからだ。二人の大騒ぎが終わると、マスターは何も訊かずにカクテルをつくりはじめる。女性の前だけに置かれたフルーツ系のカクテル。男性は酔いつぶれてすでにカウンターでうたた寝をしてしまっている。それを見て女性がしれっとした顔で「しょうがないわね」と呟いている。

きっとそのカクテルには何かしら無言のメッセージが込められていたと思う。(つづく)

第一話「かけがえのないBARとの邂逅」はこちら

第二話「マスターをやり込める女性の一言」はこちら

第三話「竹林の向こうの蠢く気配。」はこちら

第四話「反り返るカウンターに傾く美酒。」はこちら