もし最後の一杯が叶うなら……。

このBARで大切にしていたことがある。その日の「One for the Road」(帰り道のための一杯=最後の一杯)を何にするかということだ。年月を経るに従って、私の好みも概ね落ち着いていき、穏やかな味わいのものや甘めの一杯を好むようになった。

マディラの長い余韻を楽しみながら、何も考えずにいる。ポルトの甘さに浸りながら、静かに扉を閉めるようにその日を終える。時に、デキャンタージュされたポルトがカウンターの上に出してあることがあり、そんな時は、

「三杯目にポルト。逆算してその手前の二杯を」などと頼んだこともある。

このBARで「One for the Road」を楽しむことはもう叶わない。2010年7月末で閉店してしまったからだ。最近の無沙汰が悔やまれてならない。

ただただ、時代は失われ、一端失われたものは記憶の中に留めるしかないということを思い知るのみである。(おわり)

第一話「かけがえのないBARとの邂逅」はこちら

第二話「マスターをやり込める女性の一言」はこちら

第三話「竹林の向こうの蠢く気配。」はこちら

第四話「反り返るカウンターに傾く美酒。」はこちら

第五話「ぴたりとはまるカクテルのちから。」はこちら

第六話「旨い酒は類を呼ぶ。」はこちら